■新国劇とは 2020.8.14

今回は、緒形拳さんが在籍していた「新国劇」がどういう劇団だったのかを簡単にご紹介したいと思います。

新国劇は元々、松井須磨子・島村抱月主宰の「芸術座」に参加していた澤田正二郎ら11名が、大正6年(1917)に歌舞伎と新劇との中間の大衆演劇を目指して、「芸術座」を脱退し創立した劇団です。演目のなかで「剣劇」や「チャンバラ」というジャンルを創始し、世にひろめたのは実は新国劇なのです。

新国劇の創始者・澤田正二郎

大正期から昭和初期までは澤田正二郎が、戦後以降は辰巳柳太郎、島田正吾が同劇団の看板俳優として活躍。「国定忠治」、「月形半平太」、「一本刀土俵入」、「大菩薩峠」、「瞼の母」、「王将」などの演目が上演されるなど、昭和30年代まではまさしく大衆演劇の雄として隆盛を極めました。

新国劇の看板俳優として活躍した辰巳柳太郎、島田正吾らの色紙

新国劇の場合、長谷川伸、北條秀司、池波正太郎、花登筺といった名だたる作家が同劇団のために多くの戯曲を提供。劇団若手のホープとして緒形拳、大山克巳が在籍し、若林豪、伊吹吾郎、石橋正次、池波志乃、五大路子などの諸氏も一時期所属していました。

しかし、看板俳優の辰巳柳太郎、島田正吾の高齢化やテレビなど他メディアの台頭もあり、昭和62年(1987)の創立70周年記念公演で、事実上の劇団解散となってしまいました。

現在、さまざま調査中ですが、「新国劇」の盛衰は昭和の大衆文化の変遷そのものと言えそうです。

らくはく修士

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