★多様化する映画文化の中で 2019・11・28

さて、本日は第3コーナ!緒形さんと映画のコーナーです。

Ⅲ.多様化する映画文化のなかで

 緒形の映画デビューは、新国劇で初めて主役に抜擢されたボクシングをテーマにした作品「遠い一つの道」で、舞台と同じ1960(昭和35)年のことでした。しかしながら、本格的な映画への進出は、新国劇退団後のことで、緒形自身が「40の新人」と語っていたように、40歳台になってからでした。1979(昭和54)年に「鬼畜」で初めて日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞したのが41歳、以後、1984(昭和59)年に「楢山節考」「陽暉楼」「魚影の群れ」、1987(昭和62)年には「火宅の人」と、3度の最優秀主演男優賞に輝いています。40歳代は、緒形にとってまさに映画の時代であったと言えるでしょう。
 また、今村昌平監督の「楢山節考」は、1983(昭和58)年にフランスのカンヌ映画祭パルム・ドールを、1999(平成11)年には池端俊策監督あつもの 杢平の秋」で同じフランスのベノデ映画祭グランプリを、2006(平成18)年には奥田瑛二原案・監督の「長い散歩」でモントリオール映画祭グランプリを獲得するなど、国際的にも高い評価を受けた作品に出演しています。その他にも五社英雄、新藤兼人、相米慎二、山田洋次など、錚々たる監督がメガホンを取った作品に数多く出演しており、その作品の数も70本を数えています。
 映画産業は、1950年代に最盛期を迎えますが、60年代以降は次第に停滞して模索の時代に入り、80年代は多様化の時代と言われています。80年代に緒形が演じた「虚無」は、そうした多様性を象徴するものでした。もちろん、緒形が演じた役柄はそれらに留まるものではなく、その歩み自体が多様なものだったと言えるでしょう。
 このコーナーでは、第1面でこうした受賞歴のある作品を中心に展示し、第2面では時代劇を中心に展示しました。

馬場弘臣

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