★役者人生のスタート 2019・11・26

さて、「軌跡 名優緒形拳とその時代」も今日を入れて後、4日です。前回は展示のコンセプトのお話でしたので、本日は第1コーナーについての解説です。

Ⅰ.新国劇の舞台-役者人生のスタート-

 緒形さんの役者人生は、1958(昭和33)年に劇団新国劇へ入団したことからスタートします。新国劇の創設者澤田正二郎は、新たな国民劇の結成をめざして、1917(大正6)年に新国劇を結成しました。澤田は、民衆に寄り添いながらも民衆の半歩先を行く演劇をめざして「演劇半歩前進主義」を唱えます。新劇系の舞台も積極的に取り入れる一方、様式美の追求から形式的になってしまった歌舞伎の殺陣に対して、リアルさを追求し、「剣劇」という新たな分野を開拓します。”チャンバラ”という言葉も新国劇から始まりました。
 緒形が入団した頃の新国劇は、島田正吾辰巳柳太郎という二大スターを中心に時代劇から現代劇までを幅広く上演し、とくに男性に人気があったことから「男の劇団」と呼ばれていました。緒形は、新国劇の辰巳という役者に憧れ、辰巳が当り役としていた劇作家北條秀司作の「王将」に憧れたと語っています。その北條の口利きによって緒形の入団が叶います。初舞台は「無法松の一生」、1958年3月のことでした。1960年には、島田によって「遠い一つの道」「丹那隧道」という2つの演目の主役に大抜擢されたことで、一気に頭角を現していきます。緒形が本名の明伸から拳へと芸名を変えたのもこの頃のことでした。
 1968(昭和43)年、緒形は10年間在籍した新国劇を退団します。それは当時も大きなニュースとして取り上げられました。演劇のあり方が大きく変わっていこうとしていた時代でしたが、退団するまでに緒形が出演した舞台は、200近くにものぼります。まさに舞台づけの厳しい環境が、緒形の役者人生の基礎を形作ったことは言うまでもありません。晩年、緒形はそうした新国劇への熱い想いをことあるごとに語っていました。
 このコーナーでは、緒形の役者時代のスタートであった新国劇時代を振り返ります。また、もっとも思い入れの強い舞台「王将」については、新国劇退団後に演じたものも含めて特集しました。新国劇の舞台にかける緒形の青春時代の一コマをご覧ください。

馬場弘臣

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